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2007年10月31日 (水)

アグアド ロンド・夢想

Images_2アグアドのOp.2のロンドは、なかなか魅力的な作品だ。
この曲は、Op.2-2か、あるいはOp.2-3なのか?アグアドについては、高橋功氏が書いているもの以外伝記などを読んだことがなく、手元にある情報であれこれ想像してみた。

Op.2は6曲で構成されている。3つのファクシミリ版で、タイトル、
番号(くくり)も異なっている。残念ながら、私にはどういう年代順かは
分からないが、何となく①、②、③のような気がする。

<アグアドのOp.2の構成と出版譜との関係>

          ①    ②    ③
Adagio          No.1     No.1     No.1

Polonaise      No.2     No.2    

Andante                             No.2

Rondo          No.3     No.3   

Andante                             No.3

Rondo          No.4     No.4    

ファクシミリ版:
①:S.Richault社 「Collection」
②:Schott社   「3 Rondos Brillants」  F. De Fossaに捧ぐ
③:Schott社   「3 Rondos Brillants」

   

ブリームは、1曲目から4曲目(Adagioi~Rondo)を弾いているCDで、
Adagio~No.1、Polonaise~No.2、Introduction and Rondo~No.3
としている。版によって、4曲目のRondはOp.2-2となったりOp.2-3と
いうことになってしまう。アグアドの流儀を受け継いでいるホルヘ・
アリサは、Andanteを付けず、Rondoのみを弾いていた。

タイトルも、「3つの華麗なロンド」と呼ばれることもあるが(実際楽譜
にもそう書いている版もあるが)、ロンドは2曲しかないです。
これはどういうことでしょうか。
ポロネーズがロンド形式と見れなくも無いですが。。

そして、なにより関心があるのは、アグアドのほかの作品と比べ
このロンドイ短調は出色だということ。華麗というよりは、田舎じみて
いるとも感じるがそこが鄙びた感じで、ギターの音になった時
ぴたっとはまる。また、独特の流麗さがある。

以前、ソル研究家のS氏も、「アグアドではなく、ソルがつくったのか
も知れない、、、」と言っていた。ソルは、「2人の友」をアグアドに献呈
し一緒にデュエットをした。また、Op.30の第7幻想曲も捧げている。
しかし、このロンドは、曲想が、ソルの曲ではないように思います。

1784年4月8日マドリード生まれ。1825年(41歳)にパリに行く。
ギターの教則本で有名だった、とあるが、教則本がいつ出版された
のか諸説あるようです。パリに行く以前。1843年。1849年など。
もっとも教則本も何種類かあるようです。特に、パリでDe Fossaが
仏語訳し1826年に出版したそうです。これを1873年としているものも
あります。
Op.2は1872年にRichault社から出版されたというのもあります。
アグアドは、1838年にスペインに戻り、1849年に亡くなりました。
作品番号は16番まであり、作品番号のないものでは、ソルのグラン
ソロのアグアド版などがあります。

Op.2がアグアドのオリジナルでは無いとした場合、誰の曲か?という
ことは興味があります。アグアドがパリに居た1826年頃は、有名な
ギタリストがパリに集まっていた時期であり、その方からの特定は
困難でしょう。カルリ、カルカッシ、ソル、コスト、フェランティ等々。
一番考えられるのは、ド・フォッサでしょう。1775年に生まれ、1849年(アグアドと同じ!)に亡くなっています。
RECUERDO(思い出)という曲がド・フォッサからアグアドに献呈され
ています(1850年出版)。マイナーなアレグレットの部分がどこか
ロンドに似てなくもない。。

それから、この辺は夢想ですが、上記Op.2の楽譜②では、ド・
フォッサに捧ぐとあります。ド・フォッサのオリジナをアグアドが纏め
た、いわば共同作品ではないでしょうか。演奏ではアグアドは
ずば抜けていたようですから。また、逆にアグアドの教則本の仏語
訳にあたってはド・フォッサ自身が相当加筆しているので、親密な
関係だったと想像させます。

Fossa

ド・フォッサの曲は山下和仁氏がCDを出していますが、それはまだ聴いていません。

楽譜を見た感じでは、フォリアをテーマにした幻想曲などなかなか良さそうです。

*追記 Op.2には、Meissonier,Paris 1825年版というのがあるようです。これでは、③のくくりとなっているようです。

2007年10月28日 (日)

佐川文庫リサイタルシリーズ・菊地裕介

2007october_2水戸・佐川文庫で、菊地裕介ピアノ・リサイタルがあった。

ショパン:夜想曲 17番 ロ長調 op.62 フランク:前奏曲 コーラルとフーガ  シューベルト:ソナタ第20番 イ長調 D.959

今回のプログラムは、各作曲家の最後のピアノ曲を選んだということで、それぞれをどう弾きわけ聴かせるかということらしい。1時間半程度のワンステージで全曲演奏した。なかなか流暢な、聴かせる演奏だった。NHK「スーパーピアノレッスン」にも出演したことがある。外見はちょっと大萩風。

台風20号の影響でアクセスが大変だったが、盛況だった。

今日はリサイタルの前に、KEK公開講座を聴いた。「謎のヒッグス粒子はもうすぐ発見されるか? LHC計画とその現状」、「質量が生まれるしくみ」。標準モデルの完結には、ヒッグス粒子が最低1種存在する必要があり、CERNにおいてLHCの建設が進んでいる。2008年春から実験開始予定で、1~2年後に発見できるということで計画されている。壮大なプロジェクトだが、発見できないのではという話もあり、これから数年は最も面白いフェーズとなる。

その講演会の後にリサイタルを聴いたので、よりくつろいだ気分になったのかもしれない。会場もとてもいい感じだった。ピアノでは、MCの後着席すると同時に演奏が始まる。これがとても新鮮で効果的と感じた。ギターでは調弦が入るが、これを当たり前と思っては、いけないのでしょうね。

2007年10月26日 (金)

ロッシニアーナ・夢想

Images

マウロ・ジュリアーニは、全貌がなかなかとらえ難い。それは作品数が多いことと、ギターソロだけでなく、他の楽器とのあわせ物が多いことも理由にあると思われる。今週は、ジュリアーニの作品リストをもとに、手持ちのCDを聞き返しているが、なかなか進まない。リストはあるHPから引用したが、最近のCDに付いている情報などからみると誤っている記述が散見される。

こういった作業をしているとジュリアーニが身近に感じられる。ある意味、ソル以上のギタリストともいえる。ジョン・ウィリアムスがシャノンヌを弾いているLPで、片面はシャコンヌ、ダウランド、片面は、パガニーニのカプリスNo.24、ジュリアーニのヘンデルの主題による変奏曲、ソルの魔笛を入れていた。

Images_2 ジョンのギター曲の本質をついた選曲に感心する。その中でジュリアーニのこの曲はテーマの親しみやすさもあるが、魔笛以上に魅力的だった。ジュリアーニは確かに特定の技巧に偏ったところがあるが、穏叙楽章の美しさは特筆すべきと思う。また、本質は歌心であると感じているが、演奏者によってずいぶん違った印象となる。このOp.107は最近ではリカルド、・ガレンの演奏があるが、これはジョン以上に素晴らしい。

前置きが長くなったが、ジュリアーニの名曲にロッシニアーナがある。Op.119から124まで6曲ある。第1番は既に定評がある。1823年、ジュリーアーニが42歳のときナポリで作曲されたと思われる。これは、ロッシーニの協力を得て楽曲の提供を受けて作曲したといわれている。この点について、専門家の文献などでは明らかにされているのかも知れないが、私は不勉強で承知していない。自分なりに手元にある情報などで想像してみた。ロッシーニは、ベートーヴェン以上に当時人気があった人物。1824年にパリに出るまで、1815年からナポリで活動している。ジュリアーニは1823年にナポリに行っているのでこの年に二人が会ったのは事実でしょう。

ジュリアーニは、今から200年ほど前の1806年にイタリアのボローニャからウィーンに出て来た。ロッシーニが有名になる20歳代には、ウィーンにいたので、別なところで活動していた二人がなぜそれほど親しくなったのかという点が気になる。当時、パガニーニも活躍していたが、作曲、演奏技術が漏れないよう、楽譜は人には見せないようにしていたという位、大事なものだった。

ジュリアーニの伝記には、1820年から21年、ローマでパガニーニ、ロッシーニと共演したとあるようですが、パガニーニやロッシーニの伝記にはその記録は無いとのことです。

長くなるので、夢想の結論から言うと、1800年、ジュリアーニが19歳のとき、8歳のロッシーニがボローニャに移って来、音楽学校に入学した。ジュリアーニは25歳でウィーンに行くがそれまでの間の6年間は二人はボローニャの町で生活していた。ジュリアーニとロシーニはその頃からの知り合いで、ひょっとしたら、ジュリアーニがロッシーニに音楽やギターを教えていたかも知れないということです。

ジュリアーニとロッシーニがそれぞれ有名になる前から、お互いに知り合いだとしたら、面白いですね。

2007年10月21日 (日)

ヴィルトゥオーゾ~19世紀ギター作品集

宮下祥子さん レコーディング終了 ~速報~

250pxjan_vermeer_van_delft_013 「ヴィルトゥオーゾ                                 ~19世紀ギター作品集」

■宮下祥子ソロ
   ロッシニアーナ第3番Op.121                 M.ジュリアーニ
   アレグロ・コン・ブリオ Op.83-1               M.ジュリアーニ
   アンダンティーノ Op.83-4                  M.ジュリアーニ
   エチュード3番、18番、24番          D.アグアド
   悲歌風幻想曲Op.59               F.ソル
   ワルツOp.32-2                 F.ソル 
   ギャロップOp.32-6              F.ソル 

■パヴェル・シュタイドル&宮下祥子 デュオ
   アンダンテとアレグレット Op.61-1 F.ソル
   ファンタジー  Op.54bis                    F.ソル 

 
   デュオはチェコで録音しました。

   使用楽器:マルセロ・バルベロ・イーホ(宮下ソロ)
         セルジオ・アブリュウ(シュタイドル)
         アベル・ガルシア(宮下)

     (注:本ブログの画像はCDとは関係ありません)

  詳細は、下記URLを参照お願いします。

  http://www.h5.dion.ne.jp/~sa-chan/index1.htm

2007年10月20日 (土)

つくば・KEK

2007october_028

秋のつくば市

KEK~植物園                                                                                            

                                     

      

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2007年10月14日 (日)

グラナダ・夢想

クラシックギターを弾く者にとって、F.タレガの「アランブラの思い出」は重要な曲であろう。この曲は、フランスのギタリスト、A.コッタンに捧げられている。コッタンは、タレガの演奏を数人で聞いている有名な写真にも姿が見られる。ただ、何か違和感を持っていた。

タレガは、1896年5月にコンセプション・ゴメス女史に出会い、その後、アンダルシアを旅行し、一緒にアランブラ宮殿を訪ねた。一般には、コンチャ未亡人とよばれている。多くの遺産を相続したらしい。「目は大きく黒目、小麦肌、表情豊かで人を惹きつける魅力的な女性」だった(リウスの「F.タレガ」(手塚訳))。「コンチャおばさん」とマイルドな表現をしているHP記事もあるが、おばさんという年齢ではないでしょう。タレガ44歳、ゴメス35歳であった。

Images_2 アランブラ宮殿で、ゴメスは、若いころ感激したビゼーの「真珠取り」のメロディーをくちずさんだ。それを聴き、タレガは、アランブラの噴水、水路を流れる水のせせらぎに霊感を得て、トレモロの名曲の構想を得た。(この曲は、その後、1899年12月8日付けで完成された。)

二人は、アランブラ宮殿近くの「ポリナリオ」というタベルナ(レストラン・居酒屋)でくつろぎ、旅の疲れを癒した。この店は、アントニオ・バリオスのもので、多くの芸術家があつまり、一種のサロンを形成していた。

アンダルシアから帰った後、暫くの間、タレガはゴメスの館で過ごした。また、パリの演奏旅行にも一緒に出かけた。そこで、A.コッタンと出会った。その後、タレガはバレンシアに戻った、ゴメスとの仲にすれ違いが生じたためである。そして、ゴメスは、タレガの弟子のM.リョベートを支援するようになる。

M.ファリャは、1876年生まれで、タレガは1852年生まれなので、24歳離れている。パリで学び、「恋は魔術師」、「三角帽子」などで一躍脚光を浴びたが、生来、人の中にいることが好きではなく、グラナダに居を探していた。彼は、ギタリストではリョベートと親しかった。1919年にグラナダを訪れたファリャは、「ポリナリオ」でギターを弾きまたフラメンコを唄うアンヘル・バリオスと、すぐに親しくなった。アンヘル・バリオスは、アントニオ・バリオスの息子で、バイオリンも良くした。また、ロルカのピアノの先生などから作曲を学んでいる。ファリャは、彼の薦めで1920年にグラナダに引っ越してきた。

グラナダに移住したある夜、ファリャは、アンヘル・バリオスと共に、アルハンブラ近くのパティオでギターと歌、踊りの霊感豊かなフラメンコ即興演奏を聴き、琴線に触れるものを感じた。グラナダで最初に作曲したのが、ギター曲「ドビュッシーの墓に捧ぐ」である。この曲は、ドビュッシーの死を追悼しある音楽雑誌出版社がファリャに追悼文を依頼したが、ファリャは作曲で追悼文としたものであり、ファリャの唯一のギターオリジナルである。この曲は、リョベートにより運指がつけられ、出版されている。

ギター界は、セゴビア、レヒーノ・サインス・デラ・マーサを中心とした新しい時代を迎えることとなった。ファリャのこの曲を弾くセゴビアが現代ギターを象徴するといった評論家がいた。

二つのギター名曲、「アランブラの思い出」、「ドビュッシーの墓に捧ぐ」の影に、感受性豊かな女性ゴメスや、グラナダのタベルナ「ポリナリオ」という古き時代のサロンの存在があったと想像します。それを裏付ける文献的なものは今はありませんので、「夢想」ということになりますが。

2007年10月 8日 (月)

宮下祥子・レコーディング

Cd01 宮下 祥子 レコーディング
~セカンド・アルバム製作~

・制作 (株)ホマドリーム
・録音 10月中旬 東京
・収録曲 19世紀のギターの為のオリジナル作品
 ロッシニアーナ第3番(M.ジュリアーニ) 他  

 *詳細はこれからお知らせいたします。お楽しみに!!

以上、HPからの情報でした。

http://www.h5.dion.ne.jp/~sa-chan/index1.htm

只今、毎日追い込みの猛練習中。

宮下さんは、グスマンさんとの親交も深く、リサイタルでデュオを共演したこともあります。そういえば、楽器もグスマンさんと同様にアルカンヘルを使っています。

2007年10月 7日 (日)

M.E.グスマン・リサイタル

2007october_017

石岡市で、マリア・エステル・グスマンのリサイタルがあった。いい演奏だった。ただ、理由は分からないが、当日配布されたプログラムに比べ、だいぶ短縮された内容だった。個人的には聴きたいと思った曲が聴けずに、残念。いっそ、プログラムを配布しない方が良かったのではないでしょうか。

彼女が忙しくて東京に帰らなくてはならない?演奏中しきりに右手親指を気にしていた、そのせい?ステージの照明が暑くて楽器が持たない?理由は不明だった。

2007october_015

アルカンヘルの力強く、明快な、低音、高音、中音がそれぞれみごとに美しく、かつ聴かせる決めの音を放っていた。素晴らしい。

バッハのプレリュード(チェロ6番)、アストゥリアス、アンコールのドビュッシー讃歌は、本当に素晴らしかった。

また、聴きたいです。 (ほぼ毎年、聴いていますが。)

せんくら・福田進一

2007october_001 仙台で、畑村洋太郎東大名誉教授の講演「失敗学のすすめ」を聴いた。非常に的を得た内容だった。

食事は、牛タンと日本酒「乾坤一」を楽しんだ。

2007october_004 翌日、偶然、福田進一さんが仙台に来ており、チェロの長谷川陽子さんとブラジル音楽のコンサートをやることを知った。

「せんくら」という仙台の音楽イベントの一コマになっていた。チケットは完売していた。時間があったので、会場まで行ってみた。チケット売り場で再度聞いたところ、やはり完売ということであった。でも、開演後、空いていればチケット再販売で入れるかも、という話もあり、 並んでいた。。。。結局、聴けなかったのですが。ホールの係員も感じが悪かったな。

2007october_010 福田さんとは、縁がありそうで、ないです。

「せんくら」では色んなコンサートをやっており、シネコン的な運営です。他のコマもいいプログラムでしたが、こちらもチケット完売で音楽はあきらめて、長町というところまで行って、本当のシネコンで「北極のナヌー」を観てきました。結構感激しました。映像もきれいで、お薦めです。

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